2024/03/13 17:24

皆さんにとって「祈り」とは、どのようなもでしょうか?

わたしの住んでいるバリ島では「祈り」は日常で、一日に何度も「祈り」の時間があります。

日本人のわたしが日本にいた頃は「祈り」といえば年末年始の神社でのお参りや、ご先祖様へのお墓参り、毎朝仏壇に手を合わせるなどがありましたが、何にどのように「祈り」をするのかというと、明確に教わっていないな、と感じていたんですよね。

子供の頃、仏壇やお墓の前での作法は教わりましたが、宗教観のない家庭て育ちましたので「祈り」の方向性や是非については、恥ずかしながら疑問も肯定もせずに育ってしまいました。

というのも、何を何のために祈るのかという問いに明確な答えを実感できなかったというのがあります。

「ご先祖様に感謝して」など誰かが亡くなった時や親戚が集まる時に急にその場で言われても、「ご先祖様に感謝して」生きてきたと思っていませんでしたので、人生とは、先の祖があるがゆえに自分の生があると、日々実感できているということが前提で感謝の気持ちが生まれるという事です。

よって、生を受け継ぐ上で、先祖や両親から正しく教えを受ける事が必要だと思うのですが、特定の宗教を持たないと言われている現在の日本人は両親からも学校からも「表面上の感謝や祈り」しか教わらないという現状が大半です。

その結果、わたし自身「祈り」の重要性というものが全く理解されないまま大人になってしまったのですが、今となりようやく「祈り」の重要性をお伝えしたいと思います。

なぜなら当時のわたしも含め「祈り」とは、いつの間にか「お願い事」にすり替わっているように感じています。

初詣に行くときには、今年の繁栄を「お願い」し、神社には合格や縁結びを「お願い」しに行きます。

間違っているとかではないのですが、それが「祈り」かというと、違うと思います。

「祈り」とは、私利私欲のためのものではなく、特別な願いを神様に聞いてもらうのではなく、本来感謝の念を日々届けるためのものです。

誰に届けるのかというと、象徴的な神様だと思うと分かり易いのかもしれませんが、何よりもその「祈り」は自分の周りに届きます。

なぜなら、今自分が生かされている事に感謝するならば、生きていると実感することができる自身の周りに感謝することができるからです。

そして、祈る時の手の形も重要になります。

大仏が手を合わせているのは誰でも見たことがあると思いますし、「祈る」という行為の際は自然と手を合わせていると思います。

手を合わせる事で「祈り」のエネルギーが自身に循環しやすくなるからです。

感謝することが祈りとして届くのなら、特別な事でもなく、いつでもどこでも「祈る」事ができるのです。

「祈り」を忘れてしまった日本人も、「祈り」の重要性を思い出し、実践する事で実感が生まれ、感謝の気持ちで満たされてる方が増えていけば、これほど幸いなことはありません。

今一度、手を合わせてみていただけたらと思います。